展示案内

農業コーナー

 置戸の大地に開墾の鍬をおろした人々には、野付牛(現北見市)屯田の分家、あるいは秋田、青森、広島等からの団体移民などがいます。凄絶な重労働に耐え、闘った人々の開拓関係資料の中には本州から持参したものもあり、また創意工夫によって立派にその役目を果たした道具もあります。
 昭和38年(1963年)、置戸が農業構造改善事業の指定を受けたあたりから、町は大きく変わりました。機械化の波は林業にも農業にも怒涛のごとく押し寄せ、農業収入より冬の山稼ぎ収入に頼っていた、いわゆる半農半林の小規模農家の多くは農業を捨て、都市へ職を求めていきました。
 また、農家の第一の戦力だった馬は徐々にトラクターへと変わり、必然的に農機具も一変していきました。古いこれらの道具は廃棄されたものも多いですが、一部の倉庫に眠っていた農機具たちは展示資料として農業の歴史を伝える役目を果たしています。

鉄道コーナー

 明治44年(1911年)、国鉄網走線池田-野付牛間の鉄路が開通し、置戸駅の操業が始まりました。駅周辺には商店や木材業者が集まり賑わいを見せ始め、多くの置戸の木材が道内外へ運ばれて行きました。また、本州からの団体移民が開墾地へ赴く移動手段としても利用され、急速に人口も増加していき、置戸の発展は鉄道によって進められたといっても過言ではありません。
 その後、池北線、ちほく高原鉄道ふるさと銀河線と改称や所管の変更を経てもなお沿線の住民に親しまれてきました。平成18年(2006年)に残念ながら廃線となってしまいましたが、旧駅舎は現在「コミュニティホールぽっぽ」として生まれ変わり、今も町民の交流の場として役割を果たしています。

戦争コーナー

 戦争から70年以上が経過し、戦争のことを知る人も少なくなりました。しかし言葉だけではなく、当時の人が実際に使っていたモノが語ることも少なくありません。
 かつて前線で戦った兵士たちが身に着けていた軍装備品の数々、郷里で兵士の帰りを待つ人々が作成した道具、国旗の寄せ書きなど、寄贈されたモノたちからは時中の風景を想像することができます。

自然コーナー

 総面積の83%が森林地帯で覆われている置戸には、いまもたくさんの自然があふれています。熊や鹿が住み、小鳥や植物の数も豊富ですし、春日の風穴や鹿の子沢の風光明媚な景勝は一見の価値があります。
 自然コーナーでは、これら動物のはく製や、植物の標本、写真を展示しています。100体以上もある野鳥のはく製の中には、シマフクロウやクマゲラなど珍しい鳥もありますのでぜひご覧ください。
 また、戦時中多くの人が働いていた北光野村鉱業の水銀鉱石や、昭和30年代春日の山奥で探鉱が行われていた春富鉱山の金鉱石等も展示しています。

林業コーナー

 林業で栄えた町を物語るように、ノコギリや斧など山仕事の道具類は他コーナーの中でもひときわ多くの資料を展示しています。
 大森林が広がっていた置戸地域は開拓が進むにつれてその森林資源が注目され、明治時代から多くの木工場が造材作業を進めていました。チェンソーが入る以前は、すべての杣夫が手引鋸をはじめとする”7つ道具”を背負って山に入りました。丸太を転がすトビにもいろいろ工夫がされ、ドットコ、キリン、ガンタ。上曳きに用いたタマ、下曳きの橇など、今では想像のつかない使い道のある道具もあります。
 また、道内で初めて置戸森林鉄道が敷設され、営林署(現・森林管理署)が直営生産事業を行っていました。木材を運んでいた蒸気機関車はその特徴的な煙突の形から「カボチャ号」の愛称で親しまれてきました。
 これらの様子を克明に伝えるには模型がなによりと、郷土史研究会員で紙粘土づくりの名人が、往時の造材現場に森林鉄道も入れて再現。あわせて、今はない”飯場生活”を紙粘土で制作し、展示しています。

先史コーナー

 およそ2万年以上前から置戸には多くの人々が訪れていました。当時の人々が使用していた道具は黒曜石という岩石から作られており、置戸は遠軽町白滝、上士幌、赤井川と並んで北海道でも特別大きな産地として数えられています。
 町内には100以上もの遺跡が登録されており、安住遺跡や所山遺跡などでは大規模な石器生産遺跡が確認されています。はるか昔の人々は置戸の黒曜石を材料に石器を作ったあとはほかの地域へ持ち込んだり、置戸の広い山野で狩猟をしたりしていたことが想像されます。

生活コーナー

 置戸に居を構え、人が住むようになったのは明治31年(1898年)、平取出身のアイヌ・平村エレコーク氏が始まりです。それから今日までの約120年間、明治から大正、昭和と人々の生活様式も大きく変化しました。身の回りのものは自分で作るのが当たり前だった時代から、大量生産大量消費の時代へ。一点物の衣食住の道具や昔の家電など、今ではほとんどみることのない生活道具が展示されています。
 また、昭和初期の農村の暮らしを模したコーナーを設け、大きな囲炉裏や壁に掛けられた狩猟の道具など、電気の通っていない時代の生活がうかがえるようになっていますので、ぜひご覧ください。

教育コーナー

 教育コーナーでは各学校の昔の写真や子どもたちが実際に使っていた教科書など、昔懐かしい学校の資料が展示されています。
 明治31年に平村エレコークが置戸に住み始め、その後数戸の入植がありましたが子どもの数は少なく、それまでの教育といえば小さな小屋で行われる有志による私塾か、上常呂や訓子府の学校まで足を運んでいました。そして次第に子どもの数が増えていくと明治41年(1908年)の起統特別教授場を皮切りに、各地区に学校が設置され教育現場が充実していきました。その後人口の増加が続き、ピークを迎えた1960年代には小学校9校、中学校4校、高校1校が設置されていましたが、現在は統廃合を繰り返しそれぞれ1校ずつとなっています。
このページの情報に関するお問い合わせ先
置戸町役場 社会教育課TEL:0157-52-3075FAX:0157-52-3169